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2018年11月に初の書籍が出版されました!

僕が29歳年収3万円のうつ状態から這い上がってきた話

こんにちは。

アトピー改善アドバイザーの桒野靖士(くわのやすし)です。

 

僕は今でこそブログを書いたり、セミナーを開いたり、カウンセリングをしたり、積極的に動いていますが、こういう活動を始める前の数年間は夢も目標も生きがいもない、抜け殻のような生活をしていました。

そのうちの1年間は年収3万円という、今思い出しても寒気がするような状況でした。

今日、誕生日ですし、自分のこれまでを振り返る意味で、そんな状況からどうやって這い上がってきたのか、書いてみたいと思います。

 

アトピーをきっかけに人生を考える

僕は大学を卒業してすぐに、大阪の年商300億くらいの企業に就職しました。

結構勢いのある会社で、右肩上がりの成長を見せていました。

社内では常に新商品が生み出され、次々に業務改善のプロジェクトが立ち上がるような、活気のある職場だったと思います。

いわゆる経営企画と言われるような部署に配属され、役員や部長・支店長クラスの人たちの会議に混じって、難しい議論をやっていました。

手を上げたもん勝ちみたいな社風もあって、ペーペーの僕でも結構発言の機会があり、面白い仕事だったなと、今振り返ると思います。

でも、そんな恵まれた環境にいた当時、僕はアトピーでズル剥けでした。

 

入社して4カ月ほど経った頃、額に症状が現れたかと思うと、1年も立たないうちに全身に広がっていきました。

発症後2年間はステロイドで抑えていましたが、症状は拡大&悪化するばかりでした。

脱ステを始めてからは、あまりよい記憶がないですね。

朝は遅刻しまくり、

有給休暇も使い果たし、

欠勤で給料が下がっていき、

会社にいても痒みと眠気で仕事になりません。

仕事のおもしろさを感じることはほとんどなくなりました。

「なんのために働いてるんだろう?」

ふと、「仕事」というものを客観視したときに、その「意味」がわかりませんでした。

仕事をしないとお金がもらえない。

でも正直おもしろくはないし、ボロボロのカラダを引きずってなんとかやり過ごしているだけ。

この辛さの代償としてお給料を頂いている感覚。

これだけ我慢して辛い思いして、月20万ちょっとの死なない程度のお給料。

「なんだこれは?」と思いましたね。

このままの状態が続いていいのか?

定年が65歳。

残り40年。

ムリムリムリ。

世情を見ても、年金崩壊とかリストラとか人口減少とか、ネガティブ要素が多すぎて、とても頑張りがいがあるとは思えなかった。

逆になんで上司や親達はそれができてるんだ?

意味がわからん…。

 

そんなことを考えると、無性に腹が立ったり、自分の小ささを嘆いたり、将来の不安に押しつぶされそうになったりしました。

初めて「人生」というものを考えた瞬間です。

 

副業と退職と完全なる挫折

僕は先輩と一緒に副業を始めました。

「会社に頼っていてはいけない!」

「自立しなくては!」

という焦りと

「もっと人から感謝される仕事をしたい!」

という承認欲求と

「とにかく今の状況から抜け出したい!」

という現実逃避。

それがモチベーションの源でした。

 

当時の写真がありました。

結構アトピー顔ですね~^_^

そして笑顔が下手くそ(笑)

この頃の僕は思考が現実化するということを知って衝撃を受け、プラス思考を身につけようと必死になっていました。

  • 疲れた
  • しんどい
  • でも
  • だって
  • そうはいっても

みたいなネガティブな言葉を使わない。

 

  • 人を褒める
  • 夢を語る
  • 夢を紙に書く
  • うまくいってなくても「絶好調!」と言う

いろんなことをやりました。

そのおかげかわかりませんが、1年半ほどで副業が軌道に乗り、僕は会社を辞めました。

たくさんのやりたい事や欲しいものを手帳に書いていましたが、何より求めていたのは会社を辞めることだったみたいです。

数ヶ月ほど自由な生活を楽しみました。

起きたいときに起きて、寝たいときに寝る。

アトピーの人間にとってこれがどれほど嬉しい事か。

会社に行かなくてもいいってことが本当に快感でした。

便秘が一気に解消したかのようなすがすがしさ(笑)

この頃には、アトピーの症状もずいぶん和らいでいたので、なんか俺イイカンジ!って思ってましたね。

 

ところがしばらくすると次第に売上が下がってきて、営業もうまく行かなくなってきました。

会社を辞めた時点でも、そんなに余裕のある状況ではなかったので、すぐに生活は苦しくなりました。

 

慌てて人材派遣会社に登録して、営業の仕事に就いたんですが、結局3ヶ月で辞めました。

営業下手くそすぎて、全くできなかったんです。

うまくできないので、会社に行くのが嫌になって、無断欠勤を何度もしてしまい、アトピーの悪化を口実に辞めました。

 

一度仕事から逃げた人間です。

仕事をしない気持ち良さを知ってしまっています。

「逃げグセ」がついていました。

 

次はもっと楽な仕事に就きました。

10時出勤~17時退社の通信システムの検証業務。

楽ちんでした。

お給料はかなり少なかったです。

昼ごはんはいつも素うどんかおにぎり。

給料日にはカレー(笑)

携帯の支払いが滞って止められたり、クレジットカード止められたりすることも。

 

ヤバイな~と思って、正社員になろうとしました。

面接をいくつか受けましたが、それまでの一貫性のないキャリアと、持ち前のプライドの高さが邪魔をして、すべて落ちました。

 

最終的に知り合いのツテを頼って、従業員数名のコンサルティング会社に入社しました。

これまで全くやったことのない業種・職種でしたが、なんとかなるだろうと思って入ってみたら、なんともなりませんでした(笑)

しかも、全く意欲が湧いてきません。

何をすればいいのかわからないまま数ヶ月が過ぎ、社長にも「君何がしたいの?」と言われ、結局入社から半年経った頃、極度のぎっくり腰に見舞われ、2週間会社に行けず、そのまま退社することに相成りました(笑)

 

この頃には、僕は自分自身のことがさっぱりわからなくっていて、物事を上手に考えることができなかったんです。

IQが極端に下がったような感覚でした。

なぜこんなことになったのか、これから何をすればいいのか、どうなりたいのか、考えようとすればするほど頭は真っ白になりました。

 

次の仕事は見つかりませんでした。

探す気にもなれませんでした。

バイト情報誌を見て、パチンコ屋のバイトとか結構時給いいよな~、とか思ったことありましたが、結局は応募すらしませんでした。

「完全なる挫折」です。

僕の自信はすっかり折れてしまいました。

 

水道も止まる!年収3万円生活

知ってますか?

ライフラインのうち、電気、ガスは料金滞納すると1~2ヶ月で止められます。

電気を止められた時はすぐにわかります。

アパートに帰ると、いつもと違う感じがします。

あまりに静かで、暗いんです。

あー、また止められた…。

コンビニに払いに行って、関電に電話して、1時間ほどすると外に人の気配がして、なんかのスイッチを入れます。

すると、パッと明かりがつき、冷蔵庫の運転音が鳴りはじめます。

部屋に命が吹き込まれる瞬間。

ふっと安心します。

同時に、いつまでこんなことやってんだ!?と自分を責めました。

入ってくる収入は、副業をやっていたときの口座へ流れてくる2~3千円だけ。

29歳で年収3万円。

今どき中学生でももうちょいもらってませんか?

水道料金もしばらく払っていませんでした。

水道ってなかなか止まらないんです。

命にかかわるもんね。

でもさすがに半年くらい払わなかったら止まりました。

ある日突然水が出ないんです。

でも、面白いんですが、アパートのドア横にガスや水道のメーターとかが入ってるスペースあるじゃないですか。

あそこ開けると、中に水道の元栓があるんです。

それをひねると。。。

あ、水出た( ̄▽ ̄)

 

次の日、元栓のコックが引っこ抜かれてました(笑)

ぐあ~、元栓が回せない。。。

仕方なく水道局行って払いました。

 

とにかく、そんな状況でまともに生活できるはずもなく、当時付き合っていた彼女の家に転がり込むようにして一緒に住み始めました。

もう、頭が真っ白過ぎて、この頃の記憶はぼんやりしています。

でも不思議なことに、この頃にアトピーの症状はすっかり消えました。

 

生活費を彼女にもらいながら、できるだけお金を使わないように家にこもる日々。

いわゆるヒモです。

出かけると、帰りの電車賃の心配がいつもつきまといます。

実際、20円足りなくて最寄り駅までの切符が買えず、2駅手前で降りて家まで歩いたことが何度もあります。

自販機のジュースだって買うのに勇気が必要です。

 

でも、何が一番つらかったかというと、その状況を誰にも言えないことでした。

僕にとってその時の自分は、「人としてダメ」な自分でした。

こんな状況だってことがバレたら、酷く馬鹿にされるか、気を使われて変な空気になるか、同情されて惨めな思いをするだけだと思っていたので、家族にも親友にも打ち明けていませんでした。

まぁ、たぶん親はある程度気付いていたと思いますが。

何度かお金借りたから(笑)

 

いずれにしても、人と会うときはいつものポジティブな僕です。

それが本当に辛かった。

ポジティブシンキングが自分のココロを酷く傷つけることがあるということを初めて知りました。

「なんでちゃんとできないんだ」

「なんで全てに感謝しないんだ」

「なんで行動しないんだ」

いつも自分を責めて、

責めて

責めて

責めまくっていたら、

だんだん人のせいにし始めます。

親の育てかたが悪かったからこんなことになったんだ。

先輩が副業に引っ張りこんだからこうなったんだ。

ポジティブシンキングなんて何の役にも立たないじゃないか。

 

毎晩眠れずに呻き声を上げる日々。

頭の中には許せない人達の顔でいっぱいでした。

 

ネガティブを洗い流した涙

ある夜(その日は彼女は研修か何かで家にいませんでした)、僕は自分の涙で目を覚まします。

感情が積もりすぎて抱えきれなくなったんでしょうね。

ただひたすら涙が出てきます。

 

目覚める前、夢を見ていたんです。

いつも明るくポジティブな先輩たちが、「がんばれ!お前ならできる!」と言っているその笑顔に無性に腹が立ってイライラしました。

パッとシーンが変わって、おばあちゃんが出てきました。おばあちゃんはいつも優しく、100%僕を信頼してくれています。

「あんたは大丈夫」といって、頭を撫でてくれました。その瞬間に感情があふれて目が覚めたんです。

午前4時半。なぜ泣いているのかもわからず、でもひたすら涙が流れます。

一人で延々泣きました。

その間何を考えていたのかは覚えていません。

たぶん何も考えていなかったんじゃないかと思います。

でも、とても気持ち良かった。

 

涙が収まって時計を見ました。

7時半。

3時間も泣いてたのか。

たぶん人生最長やな。

そう考えるとなんか少し笑えてきて、ようやく気分が落ち着きました。

その瞬間から僕は新しい生き方をスタートしたような気がします。

 

感情を整理していくと自分の思いが見えてきた

僕は仕事に就きました。

探し始めたら3社目くらいで決まりました。

 

それから僕は、本田健さんや心屋仁之助さんなど、人生やココロの仕組みについて発信している人たちの本を読み漁りました。

その中で気付いたことは、僕がいかに自分の感情を抑圧したり無視したりしていたかということでした。

怒りたくても怒らず、

泣きたくても泣かず、

嬉しい時も照れてうまく表現できず、

不安から目をそらし、

自分を棚に上げて人の問題にばかり首を突っ込み、

やりたい事を我慢し。。。

 

そこで感情を一つひとつ観察して、整理していくことを心がけました。

あ、今僕は悲しいと思ってる。

あ、寂しいと思ってる。

あ、嫉妬してる。

あ、退屈してる。

あ、正しいかどうかを気にしてる。

 

そうやって、玉ねぎの皮を剥いていくように、自分の感情をぺらんぺらんとめくっていきました。

(この過程はだいぶ端折っています。実際は結構しんどくて地道な作業でした。)

 

そうすると、自分の中心に近いところにやっぱりあるんです。

「自立したい」

「人に感謝される仕事がしたい」

最初に会社を辞めるときに考えていたことですね。

でも、あの時と違う感覚もあります。

当時は、ビジネスチャンスやテクニックやスキルによって自立できると考えていました。

二度目の今、改めて思うのは、「自分が持っているもので勝負したい」ということでした。

そして、

今自分が持っているもので、人に提供できるものはなんだろう?

と考えて、出てきた答えが「アトピーの経験と知識を発信すること」でした。

アトピーのことを体系的に語れる人は少ないし、そもそも症状をすっかり消すことのできた人が少ない。

幸い、話したり文章を書いたりすることは得意でした。

 

それで、アトピー改善アドバイザーを名乗り、セミナーをやってみたんです。

最初の会場は京都でした。

知り合いに告知をして、周りの人にシェアしてもらったところ、30人席が一瞬で埋まりました。

その後も申込が殺到し、一番多い時で100名規模の会場がほぼ埋まりました。

僕がセミナーで発する言葉はポジティブなものばかりではありません。

アトピーは治らないかもしれないとか言っちゃうし、

脱ステはアトピーから抜け出せるかどうかと関係ないとか、

努力は疲れるだけとか、

励ましは凶器になるとかね(笑)

そんな自分の考え方を、以前は、あの泣きまくった夜以前は、「間違った考え方」だと思っていました。

だから発言できず、人から借りた言葉ばっかりしゃべっていたんです。

でも、実際に思った通りのことを発言してみると、これが思いのほか伝わるし、共感してもらえるんですよね。

「あ~、俺間違ってたわけじゃなかったんだ!」と初めて気づきました。

そうやって少しずつ自信をつけて行って、今、アトピー改善アドバイザーとしての活動をせっせと続けています。

ちなみに僕のことをずっと支えてくれた当時の彼女は、

今は僕の奥さんです。

彼女に、なぜあの時見捨てずに支えてくれたのかって聞いたことがあります。

彼女の答え。

「投資や」

器の大きさ!

もう感謝しかないです。

ありがとう。

 

甘い考え方で独立しようとした自分のバカさも、どん底まで落ち込んだ年収3万円の悪夢も、今振り返るとぞっとするのが半分、愛おしいのが半分ですね。

二度と経験したくないけど、あの経験あっての今の僕ですからね。

今、20代後半~30代前半の方で、アトピーに悩んだり、人生に悩んだりしている方はたくさんいらっしゃると思います。

悩んでいる間は下向きに成長し、根を張っている時期なんです。

悩みは決して無駄にはなりません。

そういうのを伝えたくてこの文章を書きました。

誰かの勇気になれば、これ程嬉しいことはありません。

皆さんの人生がより輝きますように。

 

 

 

 

アトピー改善アドバイザー

桒野靖士(くわのやすし)

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

1980年生まれ、大分県出身。 大阪大学卒業後、大手メーカーに経営企画スタッフとして勤務。 入社の数ヶ月後からアトピー性皮膚炎を発症。 2年間ステロイドを使うが改善が見られなかったため、25歳のとき脱ステを決意。 激しいリバウンドの最中に出会った分子栄養学に可能性を感じ、ほぼ独学で学ぶ。 3年間の試行錯誤の末、アトピーの症状はすべて消えた。 しかしその後、ココロの不安定さから人間関係やお金の問題に悩むこと更に3年。 仕事を転々とし、最後は1年間の無職無収入を経験。 自分を変えたいと心理学や感情について独学で学ぶ中で、1冊の本をきっかけに社会復帰。 自分にできることは何かを考えた末、アトピーの体験・知識を伝えることを決意。 アトピー改善アドバイザーとして全国で講演やカウンセリングを行い、「アトピーを味わい尽くすと、人生が変わる」というメッセージを伝えている。